地域と共に
豆と共に
1916年(大正5年)、尾道市土堂一丁目5−9当時から活気あふれる商業の中心地にて、海産物問屋として創業いたしました。
フジタ株式会社の110年の軌跡をご覧ください。
百十年の軌跡
創 業
フジタは、1916年(大正5年)、尾道市土堂一丁目5-9当時から活気あふれる商業の中心地にて、海産物問屋として創業いたしました。
創業者は藤田伊太郎氏で主に、昆布・わかめ・いりこなどの海産物を中心に取り扱い、地元の信頼を得て事業を拡大してまいりました。
創業者・伊太郎氏の時代
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- 1916年
- 伊太郎が創業
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- 初期の商い
- 海産乾物を中心に取引を開始
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- 地元尾道で信頼関係を構築
二代目・善次郎氏の法人化
1952年(昭和27年)、二代目・藤田善次郎氏の代に、法人化。「株式会社藤田商店」として新たな一歩を踏み出します。
善次郎氏は、常に穏やかな表情を絶やさず、温かい人柄で周囲に慕われておりました。が、その存在感は圧倒的で、ただそこに居るだけで場の空気を引き締める、凛とした人物でもありました。
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- 1952年
- 藤田商店の設立
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- 法人化
- 事業基盤の強化
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- 新たな挑戦
- 事業拡大への道筋
北海道からの豆仕入れ開始
1965年この年から、本日ご列席のホクレン様とのお取引が始まりました。
当時、尾道市内では雑穀を扱う店舗がほとんど存在せず、善次郎氏の決断により、北海道より豆類を仕入れ、海産物と並行しての販売を開始。フジタの事業領域が大きく広がった転機となりました。
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- 1965年
- ホクレン様との取引開始
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- 先見の明
- 尾道では雑穀を扱うお店がない
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- 豆類との出会い
- 第二の創業の契機に
卸センターへの移転
1974年(昭和49年)には、土堂から東尾道11-7へ移転。
本日ご列席の株式会社福井亀之助商店 代表取締役・福井様をはじめとした熱意ある商人の皆様が結成し創設された「尾道総合卸センター(現・ベイタウン尾道)」に、藤田商店も一員として参画いたしました。以来、地域の流通を支える重要な拠点の一角として弊社も商売を続けさせていただいております。
1982年 矢野 入社
1982年、現専務、矢野が入社。当時の社長は善次郎氏、専務には三代目となる藤田睦男が在籍しておりました。私事ですが、以来40数年フジタの豆と共にマメに歩んでおります。
三代目・睦男氏の就任(1984)
1984年、睦男氏が三代目社長に就任。
電話応対から伝票処理、豆詰め、出荷作業まで、すべてを自ら行うモーレツな働きぶりで社業を牽引。気難しいと評されることもありました。しかし、歯に衣きせぬ物言いではありましたが、率直で誠実な人柄は、最大の魅力でもありました。
当時は豆類の需要も旺盛で、借入に頼ることなく経営は安定。8時出社5時ピタ退社で今で言うならブラック企業ならぬホワイト企業というところでしょうか。
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- 売上好調期
- 会社全体が活気に満ち溢れる
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- 無借金経営
- 堅実な経営方針により無借金経営を実現
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- 社員の団結
- 社員旅行を通じて絆が深まる
1997年 天藤 入社
1992年には現社長、天藤が入社。当時、天藤は、25歳の若者でありました。他店で働いていた天藤をフジタの奥様がその身を粉にして働く姿に感動し、スカウトしてきたのです。
天藤・矢野の新体制2012年~
2000年には、社長、藤田睦夫のもと、天藤・矢野の両名が取締役に就任。
この三名体制で、数々の取り組みを実行に移していきました。
その後、高速道路の通行料金が1,000円になったのを機に、四国方面への配送を開始。従来のお客様とのご縁を大切にしつつ、新規開拓にも注力しました。しかしながら、時代の流れとともに豆の需要は徐々に減少し、売上は下り坂をたどることとなります。
2012年、三代目社長の高齢化に伴い、天藤・矢野両名が後継者に指名される。
性格も価値観も全く異なる二人でしたが、藤田睦男社長に“両輪”として協力して事業継承をしてほしいと託されました。私たちは「血縁ではない後継者」として、フジタを守る役割を担うこととなりました。
この頃には、売上は過去最低を記録。赤字も膨らんでおりました。
藤田に歴史はあっても実績のない私達にお金を貸してくれる金融機関はありません。
しかし、お金がない中考えたのが前に進む為の投資でした。
私達は更に大借金をして事務所を別棟に移し、作業場を3エリアに分割する大規模な改修を実施。現場の効率化と働きやすさを追求しました。
さらなる投資へ
2018年、二人で深夜にわたり補助金の書類を作成し、念願の「ものづくり補助金」を獲得。粉の全自動包装機を導入し、大幅な個包装の増産ができるようになりました。
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- 粉自動包装機の導入(2018年)
- 「ものづくり補助金」を活用し最新の自動包装機を導入
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- 作業効率化
- 新社屋と作業場拡張により3エリア分割への挑戦が実現
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- 品質向上
- 最新設備により製品の品質と安全性が向上
コロナ禍と新たなる挑戦(2020年~)
2020年、日本中がコロナ禍に翻弄される中、転機が訪れます。
社長が何の見通しもなく直感で買ってしまい社内大ブーイングのブレンダーが予想外の大活躍を見せたのです。おかげさまで、弊社のブレンダーを使いパンケーキミックスを生産し、社員総出で連日連夜作業しました。そこからプロテイン、オートミール、ナッツなど、多岐にわたる製品の小分け業務を正式に開始。フジタは「小分け業」として新たな一歩を踏み出したのです。
現在とこれから
売上は再び右肩上がりとなる一方で、次なる課題が立ちはだかります。
50年以上「豆屋」として運営してきた工場は、老朽化が進み多様化する新規取引先様のご要望にお応えるための、設備・体制の限界がきていました。
私たちは悩みました。「安定の現状維持か、勝負を掛けた前進か」。
そして三代目・睦男氏から託された「藤田の名前を未来へ残してほしい」という願いに背中を押され、前進を選択したのです。
広大な土地を新たに購入する余裕はありません。既存の敷地を最大限に活かすため、立体的な増築によりスペースを確保。限られた敷地の中で、最大の成果を追求しました。
創業より百十年ー。
これまでフジタを支えてくださった歴代の藤田家の皆様、お取引先様、仕入れ先様、従業員の皆様方に心より感謝申し上げます。
これからもフジタ株式会社は、感謝を胸に、未来へと歩み続けて参ります。
